うつ病で、ついに休職9か月目です。
うつ病で休職期間がついに9か月目になりました。昨年の9月から今月
つまり5月までですから、今では、人事異動もあり、職場の人間も代わって
います。しかし、一番代わってほしい人間は移動しません。というよりでき
ないのです。それは、係りの中で、事務職は、彼と私だけの二人だからです。
うつ病の私の分と彼が二人分働いていることになります。大変申し訳ないと思う反面、
私のうつ病の悪化は、彼が原因です。仕事の引継ぎが、凄い自己中心的で、
自分ができることは、自分流でやってきたので、それを、引き継ぎます。
ということで、アクセスやエクセルの応用ができなければできない事務処理を
引き継がれ、そこでひとこと「アクセスやエクセルは教えられないので、もし
それが分からないのであれば、自分で勝手にやってくれ」というものだった。
当然のことながら、アクセスやエクセルの応用ができなければ、できない仕事
だった。皆さんもお分かりだと思うが、アクセスやエクセルの応用を使った作業を
そのソフトを使わずに手作業で行うことは、現実的に無理だった。私は、とにかく
それらを使って行ってみた。初めは、分からずに、当然、四苦八苦していた。
すると、彼は、ちょこっとだけ教えてくれた。私は、一回りも年齢の違う相手に
ペコペコ頭を下げて、教えてもらった。私は、泣きたくなったが、アクセスは、
研修を受けても、研修では習わない範疇だった。そこで、とにかく、いろいろ試し
まくった。段々分かり始め、自分でマニュアルを作った。しかし、どうしても
分からないことがあった。すると、ちょこっとだけまた教えてくれた。今までも
うつ病だったが、何とか頑張れていた。しかし、この作業で、とにかく分からない
ことだらけで、それでも教えてもらえず、教えるにしても一部分だけという連続
だった。教えるなら初めから全て教えてくれればいいと思うのだが、彼は、そうは
してくれなかった。これが効いた。とにかく、教えてくれなかった。私ならば、
無駄なことで悩ませるのは後継者に悪いと思い、いつも細かなマニュアルを作ってきた。
しかし彼にはなかった。しかも、分からないことだらけだった。初めての職場というのは
分からないことばかりだ。全く教えがなくてできるものではない。特に我々事務職は
何でも屋だ。異動は転職みたいなもので、全く異なる仕事の場合が多い。前の仕事は
あまり役に立たない。ほとんどは、一からスタートだ。これが、きついが、前任者が
きっちり仕事を説明してくれれば、それで済む。しかし、説明がない場合、それはきつい。
今までは、そんな職場でもがんばってこれたが、やはり病気が悪化していたのだろう。
この説明がないことで、一気に病状が悪化してしまった。しかし、彼は分かってはいない
だろう。自分が原因とは、彼は十分教えていると思っていることだろ。従って、現状では
彼の私に対する不満は、溜まる一方だろう。うつ病は理解されない。特に、何も苦労と
思わない連中には、当然理解できないだろう。私自身も、うつ病は難解な病気だと感じている。
日々多大なの苦労があっても、それにめげない精神力があれば、うつ病にはならないのでしょう。
私にも完全には理解できない病気です。復職を考えると気が重くなります。
しかし、人事係りの考えは、私を異動させることは考えませんでした。
できれば、異動して、新しい人間関係を築きたかったのですが、残った1人の
人間がすべての仕事を知っています。私は、少なくとも、早く復帰して事務を
引き継がなければなりません。つまり、彼にまた教えを請わなければならない
ということです。これがある限り復帰してもうつ病はまた悪化する可能性が強い。
しかし、現状でも病状は、あるところまで改善すると、また悪化するというペースです。
これで、落ちては上がり、落ちては上がりで、段々良くなればいいのですが
あるポイントからよくならないのが実情です。医師は、1年とか2年のペースで
考えるようにと言ってます。しかし、そんなことしてたら、給与は減るし、ボーナス
など、でなくなってしまいます。生活ができなくなってしまうという状態です。
だから、皆、軽いうつ病の人は、頑張って働いています。私もそうでした。
なんとか、年休で頑張っていました。しかし、月に何度も体調が悪くて
出勤できなくなってくると、1日休むと、次の日に出で行けなくなって行きました。
それで2日休み、何とか3日目で出勤できるパターンが始まりました。こうなると
年休はいくらあっても足りません。とにかく頑張って出るしかなかったのです。
そうしていると、ある残業の日やっと仕事が終わって、外にでると、急に眼に
しみるような痛みを感じ、涙が止まらなくなりました。そのうえ、唇が引きつった
様にへの字になっていました。歩くのもやっとという感じで、駅に着きました。
人目を気にしていましたが、都会の雑踏の中ですから、変に目立つこともなく
電車には乗れました。しかし、電車内で立っているのも辛くなり、電車のドアに
寄りかかって立ち、2・3駅で降りてはベンチに座って休み、また乗って、2・3
駅で降りてを繰り返し、なんとか家のある駅までたどり着きました。駅から家までは
ほんの5分くらいなので、とにかく、横になりたくて、家までふらふらしながら
帰りました。家に帰ると私の異常な様態を見るなり、妻が「どうしたの大丈夫」
と言って、近づきました。私は、玄関で、倒れていたのです。
しかし、それでも、次の日は出勤しました。そして、もうこれは限界かな
と感じたので、課長に話すと。課長は「残業しなけりゃいいんだよ」これだけでした。
勝手に早く病欠でもとりやがれという感じでした。管理職になる連中にうつ病患者の
辛さなど分かりはしないというのが、はっきりと分かりました。これじゃ、自殺者が
減らないわけだよなと感じた瞬間でした。

つまり5月までですから、今では、人事異動もあり、職場の人間も代わって
います。しかし、一番代わってほしい人間は移動しません。というよりでき
ないのです。それは、係りの中で、事務職は、彼と私だけの二人だからです。
うつ病の私の分と彼が二人分働いていることになります。大変申し訳ないと思う反面、
私のうつ病の悪化は、彼が原因です。仕事の引継ぎが、凄い自己中心的で、
自分ができることは、自分流でやってきたので、それを、引き継ぎます。
ということで、アクセスやエクセルの応用ができなければできない事務処理を
引き継がれ、そこでひとこと「アクセスやエクセルは教えられないので、もし
それが分からないのであれば、自分で勝手にやってくれ」というものだった。
当然のことながら、アクセスやエクセルの応用ができなければ、できない仕事
だった。皆さんもお分かりだと思うが、アクセスやエクセルの応用を使った作業を
そのソフトを使わずに手作業で行うことは、現実的に無理だった。私は、とにかく
それらを使って行ってみた。初めは、分からずに、当然、四苦八苦していた。
すると、彼は、ちょこっとだけ教えてくれた。私は、一回りも年齢の違う相手に
ペコペコ頭を下げて、教えてもらった。私は、泣きたくなったが、アクセスは、
研修を受けても、研修では習わない範疇だった。そこで、とにかく、いろいろ試し
まくった。段々分かり始め、自分でマニュアルを作った。しかし、どうしても
分からないことがあった。すると、ちょこっとだけまた教えてくれた。今までも
うつ病だったが、何とか頑張れていた。しかし、この作業で、とにかく分からない
ことだらけで、それでも教えてもらえず、教えるにしても一部分だけという連続
だった。教えるなら初めから全て教えてくれればいいと思うのだが、彼は、そうは
してくれなかった。これが効いた。とにかく、教えてくれなかった。私ならば、
無駄なことで悩ませるのは後継者に悪いと思い、いつも細かなマニュアルを作ってきた。
しかし彼にはなかった。しかも、分からないことだらけだった。初めての職場というのは
分からないことばかりだ。全く教えがなくてできるものではない。特に我々事務職は
何でも屋だ。異動は転職みたいなもので、全く異なる仕事の場合が多い。前の仕事は
あまり役に立たない。ほとんどは、一からスタートだ。これが、きついが、前任者が
きっちり仕事を説明してくれれば、それで済む。しかし、説明がない場合、それはきつい。
今までは、そんな職場でもがんばってこれたが、やはり病気が悪化していたのだろう。
この説明がないことで、一気に病状が悪化してしまった。しかし、彼は分かってはいない
だろう。自分が原因とは、彼は十分教えていると思っていることだろ。従って、現状では
彼の私に対する不満は、溜まる一方だろう。うつ病は理解されない。特に、何も苦労と
思わない連中には、当然理解できないだろう。私自身も、うつ病は難解な病気だと感じている。
日々多大なの苦労があっても、それにめげない精神力があれば、うつ病にはならないのでしょう。
私にも完全には理解できない病気です。復職を考えると気が重くなります。
しかし、人事係りの考えは、私を異動させることは考えませんでした。
できれば、異動して、新しい人間関係を築きたかったのですが、残った1人の
人間がすべての仕事を知っています。私は、少なくとも、早く復帰して事務を
引き継がなければなりません。つまり、彼にまた教えを請わなければならない
ということです。これがある限り復帰してもうつ病はまた悪化する可能性が強い。
しかし、現状でも病状は、あるところまで改善すると、また悪化するというペースです。
これで、落ちては上がり、落ちては上がりで、段々良くなればいいのですが
あるポイントからよくならないのが実情です。医師は、1年とか2年のペースで
考えるようにと言ってます。しかし、そんなことしてたら、給与は減るし、ボーナス
など、でなくなってしまいます。生活ができなくなってしまうという状態です。
だから、皆、軽いうつ病の人は、頑張って働いています。私もそうでした。
なんとか、年休で頑張っていました。しかし、月に何度も体調が悪くて
出勤できなくなってくると、1日休むと、次の日に出で行けなくなって行きました。
それで2日休み、何とか3日目で出勤できるパターンが始まりました。こうなると
年休はいくらあっても足りません。とにかく頑張って出るしかなかったのです。
そうしていると、ある残業の日やっと仕事が終わって、外にでると、急に眼に
しみるような痛みを感じ、涙が止まらなくなりました。そのうえ、唇が引きつった
様にへの字になっていました。歩くのもやっとという感じで、駅に着きました。
人目を気にしていましたが、都会の雑踏の中ですから、変に目立つこともなく
電車には乗れました。しかし、電車内で立っているのも辛くなり、電車のドアに
寄りかかって立ち、2・3駅で降りてはベンチに座って休み、また乗って、2・3
駅で降りてを繰り返し、なんとか家のある駅までたどり着きました。駅から家までは
ほんの5分くらいなので、とにかく、横になりたくて、家までふらふらしながら
帰りました。家に帰ると私の異常な様態を見るなり、妻が「どうしたの大丈夫」
と言って、近づきました。私は、玄関で、倒れていたのです。
しかし、それでも、次の日は出勤しました。そして、もうこれは限界かな
と感じたので、課長に話すと。課長は「残業しなけりゃいいんだよ」これだけでした。
勝手に早く病欠でもとりやがれという感じでした。管理職になる連中にうつ病患者の
辛さなど分かりはしないというのが、はっきりと分かりました。これじゃ、自殺者が
減らないわけだよなと感じた瞬間でした。

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